意味の分からない不安。
意外とみんなコンセプト浅いんだなあと思う。
特に悪い意味でなく、結構身近なところから見つけてきてるんだなと言う意味で。
数日前アメリカ人の子に見せてもらった、今度展示する作品はレシートをノートに貼り付けたもの。
「レシートって人を表すでしょ!」
と説明してくれたけれど、
それは私も感じていることだしなんなら1年生の誰かもレシートを集めていたし、本にも書いてあった。
フィリピン人の子の作品は、
「物事には裏表の二面性が必ずある」
と説明してくれたけれど、
それは言わずもがななのではと思ってしまった。英語で聞いたらもっと深いんだろうか。
私も今、写真を平面として扱って
そこから読み取る情報や記憶を立体とする作品を作っている。それだって、特別言葉にしなかっただけでみんな分かっていることなんじゃないかなあと、ちょっと不安になる。
新しいことを見つけることが美術というわけではないけれど、既知の事実をなぞるだけでは何だかつまらない。アート作品って一体どこに着地すべきものなんだろう。
ともあれ今回の展示は言わば息抜き。
学校に何か提出したりとりまとめたりしないで、自分の好きなように作って好きなように展示する。誰も文句の言わない展示でございます。
でも手を動かしてると必然的に発見があるし、身の回りにあった何でもないものがすごく貴重な素材であったことに気がつく。
次は地元の家が取り壊された跡地ばかり集めた写真展をやりたいなと思う。この間芸大陳列館で展示していた台湾写真展にも、そんな雰囲気の作品があった。せっかく私のルーツが地方にあるのだから、それを使わないのはもったいないし、それはある種の義務であるような気もする。
それにしても今回の展示が終われば同月に学校での展示、次月にベトナム・タイでのワークショップ、帰ってすぐにオーキャンをしたと思えばその後すぐ終了制作審査展。年が明けたら一般公開の修了展で3月は徳島で展示。
それが終わったら社会人をやらなければいけないわけだ。もう時間がないように感じるな。社会人ってほんとに仕事しかできないほど忙しいんだろうか。
楽しく制作をしていると、アーティストとして生きてみたいという気持ちも生まれてくる。どうなるんだろう、実態のない不安ばかりが渦巻く。何と説明していいのか分からないけれど。
ともあれ今は今のことをやろう。
やればやっただけ結果がついてくる…
とも限らないけれど、やらなければ結果が出ないのは確かだ。
楽しんで、楽しんで、やるぞ。